午後の日差しが目に痛かった事を覚えている。
その日も私は鳥口に依頼された原稿に全く手を付けず、文机に向かったまま完全に弛緩していた。
ブルートレイン
「関口先生ぇ、いらっしゃいますかぁ」
間延びした声に私は覚醒する。どうやら突っ伏して眠っていたようだ。
左の頬に残る木目の痕を摩りつつ身を起こした。
―――この声は
久々に聞いたように思う。しかしだからと云って長い間彼女と会っていなかったかと云うと、一概にそうは云えない。
私はもう一度机に突っ伏した。
お邪魔しますよぅ、どうせ寝ているんでしょう。確信を持った声。
トタトタと縁側を歩く音。
がらり。
「ほぅらまた眠ってる。締め切り延ばすと鳥ちゃん困っちゃいますよ」
そう云ってはにやりと笑った。
「また榎木津かい」
「はい。ちょっとの間匿って下さい」
彼女は私の前にちょこんと座った。
「ちゃんと口実もありますよ。ほら、お団子」
そう云って持っていた風呂敷を掲げる。
一緒に食べましょう。
柔らかい声で微笑み乍らそう云う彼女に、私は否定することなど出来なかった。
私は彼女の笑顔に弱い。
私の貧相で醜い部分の全てを包み込み、浄化し、癒してくれる。
を見る度そう思う。
何度彼岸の淵から救い出されたことか。
「―――あ、お茶、いれましょうか」
「―――え、あ、じゃあ僕が」
「先生、そのむくんだお顔じゃまだ頭回ってないでしょう。大丈夫です。私がやりますから」
坐ってて下さいねと言い乍らは私の頭を撫でた。
まるで子供扱いだ。
嬉しそうに見知った台所に向かって歩いていく彼女の後ろ姿を未だ弛緩し乍ら見つめる。
そして夢想する。
私は今まで死と云うものに抵抗が無かった。
死とは能動的なものだ。
全てを受動的に受け止めている私にとって、死ぬという行為自体既にどうでもいいことだった。
でも今は
君が居るから、死が恐い。
君が私のなかに居る限り、私はまだ、彼岸に足を踏み入れたくは、ない。
そうだ
君なら。
「はい、お茶ですよ。急須に入ってた奴ですけどねぇ」
の言葉で私は二度目の覚醒をする。
「ああ、ありがとう」
「いえいえ。台所勝手に使っちゃってすいません」
「構わないよ。僕の方こそ玄関に出もしないで――」
「私が勝手に押しかけたのが悪いんです」
は苦笑する。
「でも私、此処にくると不思議と落ち着くんですよ」
なんででしょうねぇ。にこりと微笑う。
ああ、
「――関口先生が、居らっしゃるからでしょうか」
そして、多分私は今日始めてと視線を交えた。
ああ、そうだ。
君なら
君となら
君となら、私は生きてゆけるかもしれない。
私はを自身の緩みきった胸板に抱き込んだ。
ふわりと、
甘い香りがした。
「ありがとう」
もう少し、この香りに酔っていたかった。
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また尻切れ。
脱・関口悲恋夢。でもこれ性格違いすぎかも。
2006.7.7