「…ちゃん、どうして此処に?」
「えへへ」



身を切る風が吹き付ける時分
所用で出掛けていた私が自宅に戻ると彼女――――が居た。






秋の夜長の








「鍵が開いていたので勝手にお邪魔させて頂きました。
ちゃんと施錠しないと駄目ですよぅ、先生。」

「あ…」



そういえば、自宅を出るとき鍵をかけた覚えが無い。
しかし来たのが彼女ならば心配など微塵もないだろう。

彼女はこの家を、もしかしたら私よりも知っている。




彼女が私の家を度々訪れる様になったのはつい最近のことだ。

榎木津の所で時間給制労働をしている女学生が居ると京極堂から聞かされたのは立夏の頃だったか。

最初に会ったときは、お互い殆ど何も話さなかった。


どちらも重度の人見知りらしかった。

何度か会って(主に京極堂でなのだが)話すうちに、彼女は気さくに声をかけてくれるようになった。



そうして夏も終わる頃、

「関口先生の仕事場が見てみたいです。」





この一声で、私は躊躇い乍ら彼女を家にあげた。
彼女は私の家をいたく気に入ったようで、それ以来何度も遊びに来た。


遊びに来たと言っても、たいていは雪江と世間話をしたり、私が物を書く様を眺めている位だ。





私の家に来ている間、彼女は始終楽しそうだった。
少なくとも、私にはそう見えた。





「先生、今日は何処に行ってらしたんです?」
「あぁ、うん、稀潭社の方に…」
「もしかして次回作の打ち合わせですか?」
「うん、まぁそんなところかな」
「楽しみにしてますよ、関口先生」

うふふ、と彼女は小気味に笑う。

「そんな…僕みたいな三文文士に期待なんてしないでくれよ」
「でも私、関口先生の作品好きですよ?」



この言葉を聞いたのが偏屈な古本屋の主人なら、
考え直してくれと彼女を必死で説得するかもしれない。





「……ありがとう、ちゃん」

私はなんだか照れ臭くなった。






ちゃん、来てくれるなら一報入れてくれれば僕だって出掛けなかったのに」
「だって、いきなり訪ねて先生を驚かせたかったんですもん」


言い乍ら、彼女は茶を出してくれた。
この家の台所は、私よりもちゃんの方が使う頻度が高いだろう。



「僕は、我が家に帰ったら君が居ることの方が驚いたな」
「ふふ、じゃぁ作戦成功ですね」










他愛ない会話は日が落ちるまで続いた。
尤も私が帰って来た時刻が時刻だったので、実際にはそれ程長くはなかったのだが。












「…あ、もうこんな時間ですね」
ふと時計に目をやった彼女が言った。



「帰りたくないな…」
彼女は寂しそうに呟く。



そんな彼女の整った顔を見乍ら、私は無意識のうちに彼女の名を呼んだ。




ちゃ「あの、関口先生」

突然名前を呼ばれ、私は無意識の海から引き戻される。








「あ、あの、今夜、……こちらに泊めていただいても良いでしょうか?」

頬を鴇色に染め乍ら彼女は言った。




「榎さんには私から伝えておきますし、極力粗相の無いように努めます!だから…」


彼女が私の家に泊まりたいと言ってくれたことに、不覚にも私は頬が染まるのを感じた。




「ぼ、僕は一向に構わないよ。で、でも、今日は雪絵は帰ってこないから…」
「夕ご飯なら、私作れます!」
「ぁうぅ、いや…」


私が言いたいのはそういうことでは無かった。



この狭い家に三十路の小説家と二十歳にも満たない女学生が二人きりで夜を明かすことに戸惑っているのだ。


しかし、ただでさえ舌足らずで失語症の私が彼女を言いくるめられる筈もなく




結局彼女は意気揚々と電話に向かって歩いていった。






私はどうすることも出来ずにただ電話口に向かう彼女を見つめている。


















そう














今日、雪絵は帰らないのだ。














―――――――――――――――――――――――――――――――――

去り際シリーズ。

尻切れ蜻蛉。

此処から先はご想像にお任せします。



2005.11.17