「あーおーきーさん」
「あれ、ちゃん」
エントランス
「どうしてこんな所に?」
此処は東京都直属の捜査一課――――殺人課が存在する刑事部屋だ。
無骨な男共ばかりが居るこの汚い部屋に、彼女、のような線の細い女学生がいる事は
刑事、青木文蔵から見るとある種異様だった。
「お弁当、作ってきたんです。お口に合うか分からないけど…」
「お弁当!うわぁ、ありがとうちゃん!」
青木はの手を握りながら、童顔を更に子供のように綻ばせて礼を言った。
青木が初めてに会ったのは、京極堂に足を運んだときだった。
京極堂は、青木の上司、木場修太郎がよく―――最近特に―――足を運んでいる所だ。
その日も青木は木場を探しに京極堂に来ていた。
細君にいつもの部屋へと通されると、
そこには中善寺と木場、関口、そして榎木津とが居た。
最初に見た彼女は、酷く狼狽していた。
「こら炬燵櫓男!の隣に座るんじゃない!の隣に座っていいのは
神であるこの僕だけだ!」
「煩ぇよこの呆茄子!この場所しか空いてねぇだろうが!」
「え、榎さん、落ち着いて…。うわっ!」
「ちょ、ちょっと榎さん。ちゃんが戸惑っているじゃないですか…!」
「猿は黙っていなさい!これは僕との問題だッ!」
「俺とお前の問題だろうが!!」
滑稽としか言いようがなかった。
大の大人が子供のように口喧嘩をして、口喧嘩の中心らしい少女が
それを必死で止めようとしている。
青木は半ば溜息交じりに木場を呼んだ。
「…こんな所で何やってんですか」
「おぅ、青木じゃねぇか」
漸く青木に気付いた木場は飄々と答えた。
「おぅじゃないですよ。仕事放ったらかして何やってるんですか」
「仕事ったって大方書類書くんだろ。
こう毎日続いてくれちゃぁこちとら嫌にならぁ」
「毎日殺人事件が起こるってのもどうかと思いますが…」
そこまで言って、青木はこれ以上言っても無駄だと悟った。
木場は元来、そういう男なのだ。
「おぉ、良かったな下駄男!やっと下駄の貰い手が来たじゃぁないか!
さっさと下駄箱に戻りたまえ!」
榎木津が訳の分からない茶々を入れる。
「煩ぇ、言われなくとも戻ってやらぁ!邪魔したな、京極堂」
「全くです旦那」
古本屋の主人は表情ひとつ変えず淡々と言い放った。
青木は京極堂に会釈をし、木場に続いて部屋を後にしようとした。
「旦那!またお話聞かせてくださいね」
榎木津に半ば強引に座らされている少女が、満面の笑みで言った。
青木は瞬時に目を奪われた。
「おぅ」
木場は短くそう答え、そそくさと玄関まで歩いていった。
「あ、あの」
「あん?」
「あの、さっきあそこに居た女の子って…」
「…あぁか。あいつは馬鹿探偵ん所で時間給制労働してる学生さ。
それが礼二郎の奴にいたく気に入られたみたいでな。
お陰で馬鹿探偵の変人っぷりに拍車がかかっちまったんだよ」
「はぁ…」
「健気な奴さ。いっつも学校帰りにあそこに寄って、
熟睡してる馬鹿探偵を引きずり出してくるんだからな」
の事を話している木場の目が、
普段青木達に向けられるそれとは違うことに青木は気付いていた。
しかし青木自身、に対して何かしらの感情を抱いていることも薄々感じていた。
それから青木は、木場を連れ戻すという口実のもと、何度も京極堂に赴いた。
勿論本当の目的はに会う為である。
最初は声をかけるのに随分と戸惑ったが、その葛藤は思いの外すぐに解消された。
「あの、もしかして旦那の部下の方ですか?」
それがから青木に向けられた第一声だった。
旦那の部下は大変じゃありませんか?と、彼女は笑い乍ら言った。
それから互いに名を紹介しあい、主に青木の話で盛り上がった。
話している最中、始終榎木津がのひざ元を占領していたのは、青木には気にならなかった。
そして今日、は青木の仕事場まで足を運んでくれた。
それだけで青木は嬉しかった。
そのうえ弁当まで作ってくれたのだと云う。
「ハイこれ。青木さんの分です」
は手に持っていた紙袋の中から、包みをひとつ取り出した。
時刻はちょうど昼時だ。
「ありがとう。残さず食べるよ」
青木はそれを受け取り乍ら言った。
「あぁ、いえ、お口に合わなかったら無理しなくても…」
「大丈夫大丈夫。ちゃんの作ったものは美味しいに決まってるから」
「そんな……」
俯いて頬を染めつつは口篭る。
そんなを青木は愛らしいと思った。
「あ、あのですね青木さん…」
「ん?なに?」
「あの、旦那って此処に居ないんでしょうか…?」
「えっ…なんでだい?」
「あ!あの、いえ、特に意味はないんですけど、
……何処に居るのかなぁって…」
明らかに普段とは違う彼女を見、洞察力の優れた若い刑事の脳裏にははある考えが過ぎった。
それは青木にとって最も考えたくはないことだった。
あぁ、もしや。
彼女は―――――――
「木場さんは今捜査に行っちゃってて居ないんだ。何か用でもあったの?」
「あ、ハイ。あの……旦那の分のお弁当も作ったので、よかったら食べてくださいと…」
「そういうことなら僕が渡しといてあげるよ。何たって相棒だからね」
「あ、ありがとうございます!すいません、お仕事増やしちゃって…」
「こんなの仕事のうちに入らないって」
「青木さんは優しいのですね」
はふわりと微笑う。
―――――――ああ止めてくれ。そんな目で僕を見ないでおくれ。
どうせその目は僕を映してはいないのだろうに。
青木は目を伏せた。
「それじゃぁ私はこれで。・・・あ、青木さん。最後にもう一つだけ」
「ん…?」
「旦那に、無理はしないようにとお伝え下さいませんか?」
「…うん」
「ありがとうございます。それじゃ、お邪魔しました。」
ぱたりと閉まった扉を見乍ら青木は呆然と立ち尽くしていた。
態度に出さなくとも分かる。
は木場を好いているのだ。
彼女の瞳に映るのは、童顔の若い刑事ではなく無骨な豪傑刑事だった。
その考えに思い到っても尚、
青木の足は今日も京極堂へと向かう。
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青木の最強片思い。
梶川の小説は基本逆ハーです。
2005.11.20